シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 安宅和人 要約

 

 

シン・ニホンの実現に向けて

自ら未来を創り、仕掛ける

2016年のTEDxTokyoでシン・ニホンという言葉を生み出して以来、著者は多様なテーマで、数十のバージョンの「シン・ニホン」を生み出してきた。大人のサバイバル方法から子どもの教育、AI時代の人材育成や高等教育のあり方まで、広範なテーマを扱い、オーディエンスもバラバラだ。本書は、それらをひとつなぎに俯瞰したものを描く試みである。

日本には長らく不安と停滞感が蔓延している。現実を直視しない楽観にも、単なる悲観論にも意味はない。本当に未来を変えるべきだと思うならば、現実に向かい合い、建設的な取り組みを仕掛なければならない。少しでもましになる未来を描き、次世代にバトンを渡そう。未来は目指し、自ら創るものだ。

データ×AI時代の変化の本質

人類史に残る対局

 

2016年3月、「魔王」の異名を持つ韓国の天才棋士イ・セドルと、英国DeepMind社が開発した碁AIのAlphaGoの対局が行われた。チェスの対戦においては、1997年にAIが世界チャンピオンを打ち破った。しかし、チェスよりも盤面のパターンが極端に多い囲碁の世界では、計算機の性能が格段に進化し、iPhoneが誕生した2007年になっても、AIはアマチュア級位者に負けるほど弱かった。

この対局の数ヶ月前に、AlphaGoは欧州プロ棋士に勝利した。しかし、イ・セドルは、自分と同等のレベルに追いつくには時間が足りないはずだと考え、接戦になるとすら思っていなかった。結果は5試合中1勝4敗で、イ・セドルの敗北に終わった。さらに、翌年には、「大帝」と呼ばれる世界最強棋士、カ・ケツも3番勝負で3局全敗。人類は本気のマシンに二度と囲碁で勝つことができなくなったことが示された。

イ・セドルとの対局1ヶ月ほど前の発表によると、AlphaGoは16万局、約3000万の局面をわずか3週間で学習したうえで、自己対局や別のアルゴリズムとの組み合わせで新たに3000万局面を生み出し、その局面と勝敗結果を1週間で学習していた。人間では到底できないような訓練量を短期間で実現していたがゆえの勝利であった。

指数関数的な思考が不可欠に

 

2007年にはアマチュアよりも弱かった囲碁AIは、わずか9年でトッププロ9段すら打ち負かすようになった。深層学習が動くようになってからはわずか4年のことだ。

データ×AIの世界では、すべての変化が指数関数的に起こる。その結果、現在では不可能なことでも、5年後、10年後には可能になる。そうは言っても、そこまで急速に世の中が変化していると感じられないという人もいるだろう。その感覚は正しい。たとえば、初期値を1として、1日1ずつ増えるリニアな変化と、1日10%ずつ増える指数関数的な変化を比べてみると、最初はリニアな変化の方が大きい。しかし、途中から指数関数的な変化の方が急激に大きくなり、60日目には4倍以上、90日目には50倍以上と、信じられないほどの差が生まれる。

時間が経つと想像を絶する変化になるということが、指数関数的な変化の本質だ。これからの時代は、リニアな思考では世界を読み違える。すべての変化を「桁で考える」指数関数的な思考が不可欠だ。

すべての産業がデータ×AI化する

データ×AIが巻き起こす技術革新は、デジタルメディアやEコマースの領域だけでなく、繊維・アパレル産業、小売、農業といった伝統的な産業にも多大な影響を及ぼしている。これからは、すべての産業がこの「産業革命型」の技術革新の恩恵を受けることになるだろう。

企業価値ランキングの上位は、この10年で様変わりしている。かつては銀行、石油の元売り、メーカーが中心だったが、2019年はデータ×AIを使い倒している企業が上位のほとんどを占めている。これまでは「スケール」を取り、利益を生むことが企業価値につながっていた。しかし、変化に富む時代においては「未来を変えている感」が企業価値になり、最終的に利益につながるという真逆の構図が生まれている。未来に向けて新しい変化を仕掛ける人たちにとって、圧倒的に有利な状況だ。

未来を仕掛けようとするとき、新しい技術に注目が集まりがちだが、技術だけを身につけても未来を生み出すことはできない。著者にとっての未来は、我々の夢を、技術で解き、デザインでパッケージングしたものだ。ここでいうデザインとは、日本語の「意匠」の意に留まらず、「商品/サービス設計」、ビジネスの「系・モデル設計」がすべて一体となった、英語本来の意味での「デザイン」だ。技術の実装だけでは未来を変えることはできない。欲しい未来を思い描いて、「目に見えない特別な価値」を生み出し、領域を超えたものをつなぎデザインする力。それこそが、これからの時代に求められているのだ。

日本の現状と勝ち筋

日本だけが一人負けを続けた15年

 

データ×AIに代表される革新の波に乗り、世界的に一気に生産性が高まってきたこの15年余り、日本だけが一人負けを続けている。もはやゲームが始まったことに気づいていないといってもよい状況だ。それぞれの産業をあるべき形に刷新するだけで、日本の生産性は他の主要国に並ぶ。「当たり前」をやるべきときが来ているのだ。

産業のベースとなる科学と技術分野において、日本の大学のプレゼンスは弱まっている。2016年に中国が科学および技術関連の論文数で米国を抜き去り世界一になった頃、日本の論文数はインドに抜き去られた。15年ほど前まで世界の超有名大学の次あたりに位置していた東京大学は、2019年には英国Times Higher Educationの世界大学ランキングで世界42位だ。旧来の科学分野では依然世界トップ10に東京大学が入っているにもかかわらず、今世の中を変えている分野でのプレゼンスが極端に低い。計算機科学の分野では東大はトップ10どころか、135位に甘んじている。

第二、第三の波で勝つ

データ×AI分野で日本がここまで立ち遅れたのは、この世界での成功の鍵となる、ビッグデータの「収集」、収集したデータの「処理」、そしてこれらの利活用の仕組みを作る「人材育成」のいずれをも押さえられなかったからだ。日本は技術革新や産業革新の波を引き起こすどころか、乗ることすらできなかった。

しかし、日本に希望がないわけではない。18世紀から始まる産業革命は、新しい技術やエネルギーがバラバラと出てきた「第一フェーズ」、新しい技術が実用性を持ち、実装された「第二フェーズ」、新しく生まれた機械や産業が繋がりあって、より複雑な生態系が生まれた「第三フェーズ」に整理することができる。日本は歴史的に見て、フェーズ1を経験したことがない。しかし、フェーズ2、フェーズ3においては勝者である。

データ×AIの世界のフェーズ1はすでに終わりに近づき、産業革命同様のフェーズ2、フェーズ3が到来すると考えられる。AIには、外部から入ってくる情報をどう仕分けし識別するかという「入口系」、実際の産業での用途や機能に関連する「出口系」がある。現在のAI化の波は、デジタルマーケティング分野や決済領域に集中しており、ほとんどが入口側のテクノロジーの変化だ。出口側でAI的なソリューションを生み出すためには、出口特有のデータが必要だ。じつは、日本はオールドエコノミーの「出口産業」のほとんどを世界レベルでもつ数少ない国の一つだ。クルマや家電だけでなく、生命科学、ハードの世界においても世界のトップレベルの基礎技術を持っている。これからのAIの応用フェーズでは、日本にもかなりのチャンスがあるはずだ。

「未来を創る人」を育てる

普通ではない人の時代

スケールよりも「創造」と「刷新」が重要な世界でカギとなる人材は、普通の人とは明らかに違う「異人」だ。そのままでは、彼らは異物として排除されるか、潰されるかだ。だからこそ、異人を尊重する価値観を育み、彼らが生き延びる空間を作らなければならない。

未来を仕掛ける担い手は若者である。明治維新の思想的な指導者である吉田松陰、発明王トーマス・エジソン特殊相対性理論を誕生させたアルベルト・アインシュタイン。歴史的に見ると、世の中を本質的に刷新した人たちは驚くほど若く、いずれも30代の前半までに挑戦の開始が集中している。未来を仕掛ける担い手として、異様な才能、異人たる人材をうまく育て上げることが重要だ。

時代に即した形で、教育を刷新する

 

データ×AIの時代では、人とキカイが仕事を奪い合うのではなく、データとAIを使いこなせる人とそうではない人の戦いになる。よく、「AI対人間」という議論になるが、AIと我々が持っている知性は本質的に異なる。AIは情報処理過程のほんの一部しか実現できておらず、課題の切り分けや枠組みのデザイン、人との適切なコミュニケーションもできない。AIは本物の課題解決に対してはほとんど無力だ。人間に求められるのは、キカイを有能なサポーターとしてフル活用しながら、自分が知覚できる領域を増やし、新しいアイデアを生み出すことだ。これまでの教育現場では、「覚える力」が大切であったが、今後は現象や対象を肌感覚で理解し、知覚した内容を表現する力がより重要となる。

現在の初等教育では、キカイがやることが当たり前ともいえる、漢字の書き取りや計算ドリルに相当量のリソースを割いている。一般社会で行えばパワハラそのものである指導や、「気をつけ」「起立」などの軍事教練の名残、外国人に説明不能な校則や決まりも健在である。総じて“マシン(機械)”として子どもを育成している。その結果、これからの時代においてもっとも大切な「意思」「自分らしさ」「憧れ」のない子どもが量産されている。

時代に即した形で教育を刷新するために、まず「その人なりの心のベクトル」を育てることが教育の最大命題の一つであると認識すべきだ。

【必読ポイント!】 残すに値する未来を創る

「風の谷を創る」運動論

最後に、著者が生み出したい未来のために行っている仕掛けを紹介しよう。「風の谷を創る」という運動論だ。

2017年、社会変革を働きかける人たちの合宿に参加したところ、最後に自分が何をやりたいか深く考える時間があった。そこで著者に唐突にある考えが降りてきた。世界のあらゆる場所で人が都市に向かうようになり、郊外はすべて捨てられてしまう。これが次の世代に残すべき未来なのか。テクノロジーは人間を解放するためにあるのだから、使い倒して、僕らはもっと自然と共に生きる美しい未来を創ることはできないのか。

そうして思いついたのが、『風の谷のナウシカ』に出てくる一つの心の原風景のような集落、「風の谷」だ。「風の谷を創る」運動論は、目指すべき姿自体の見極めから始める、「ビジョン設定型の問題解決」だ。賛同者を集め、議論を重ねた結果、著者らが創ろうとしているのは「都市集中型の未来に対するオルタナティブ」だとはっきりした。自然と共に、人が共存する魅力的な空間を創る。しかも、一過性の、現在のみに通用する最適解を見つけるのではなく、継続性のある運動論にする。これは並大抵のことではない。それでも、問いが問いを生む世界で活動を続け、段階を経ながら「風の谷」の実現に向けて、分野を横断したプロジェクトが進行している。

どんな未来を創り、残したいのか。これが今一人ひとりに問われている。

 

  • 要点1
     本書は、著者が極めて広範なテーマで生み出してきた数十のバージョンの「シン・ニホン」をひとつなぎに俯瞰したものを描く試みである。
  • 要点2
     現在終わりつつあるデータ×AIの革新の「第一フェーズ」に乗り遅れた日本の勝ち筋は、「第二フェーズ」「第三フェーズ」にある。
  • 要点3
     未来を創るのは若者だ。時代に合わせて教育を刷新し、他人とは異なる軸で勝負する、「異人」をうまく育て上げることが重要だ。
  • 要点4
     未来を創るための仕掛けとして、著者は「風の谷を創る」という運動論を進めている。